【マルタ留学前に必見】複雑な歴史と文化を解説!遺跡から騎士団まで学ぶマルタ基礎学
Update 2025.12.09

マルタはキリスト教文化を中心に、さまざまなカルチャーや人種が混ざりあった、文化的にとても豊かな国です。
しかし、この豊かさの背景には中世から近世にかけて各国からの支配を受けた複雑な歴史があります。
この記事では、マルタ留学を控えている方や、マルタの歴史・文化に興味がある方に向けて、簡単なマルタの歴史を解説していきます!
実際に、歴史を肌で感じられるおすすめの観光スポットも紹介するので、参考にご覧ください!
Contents
マルタの歴史:紀元前5000年から続く文化の形成

マルタの歴史は非常に古く、紀元前5000年にまで遡ります。
異なる文明の影響を強く受けたことにより、現在のマルタ独自の文化と言語(マルタ語)を形成しました。
以下で、古代〜現代のマルタについて触れていきましょう!
古代マルタ:巨石神殿とキリスト教文化の萌芽
紀元前3500年:神殿の建築(人類最古級の巨石文化)

紀元前3500年頃には高度な石器文化が生まれ、その技術が現在も残るマルタの巨石神殿で使われていました。
マルタ留学中のアクティビティとして人気のゴゾ島では、人類最古の建築物といわれる神殿「ジュガンティーヤ神殿(Gpantija Prehistoric Temple)」を見学できます。
ジュガンティーヤ神殿は、世界遺産にも登録されてるよ🪨
紀元前800年:フェニキア人の入植

紀元前800年からフェニキア人がマルタで暮らし始めます。
その後はカルタゴ、ギリシア(のちのローマ)との争いを経て、ローマ文明下にマルタは置かれることになりました。
西暦60年:キリスト教文化の普及

ローマ文明期にマルタの多くの街が発展し、西暦60年頃には聖パウロが現れました。
以降キリスト教が普及し、現在のマルタの文化の基盤となります。
中世・近世マルタ:イスラム勢力とマルタ騎士団の時代
4世紀~9世紀:異民族の侵攻とアラブ文化の影響

ローマ帝国衰退後、マルタは4世紀から6世紀にかけてゲルマン系のヴァンダル族やゴート族などの支配を受けました。その後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の支配下に入ります。
また、アラビア半島ではイスラム教が誕生。イスラム勢力が力を増すと、9世紀にはマルタもイスラムの支配下に入り、多くのアラブ人が移住しました。
このイスラム支配とアラブ人の移住が、マルタ語がアラビア語の方言を祖先とする言語として成立する大きな影響となりました。
マルタ語の祖先はアラビア語の方言!
9世紀頃からマルタで話されるようになり、それが後にイタリア語などの影響を受けて、現在のマルタ語へと変わっていったんだ🗣️
11世紀~13世紀:ノルマン人・神聖ローマ帝国による支配

11世紀になると、ノルマン人による侵攻を受けます。
ノルマン人伯爵ルッジェーロ1世(シチリア伯)が侵攻した際に使用したとされる赤と白の二色旗は、現在のマルタの国旗の起源になったという伝説が残っています。
ビザンツ帝国が再びマルタを取り戻そうと侵攻しますが失敗に終わり、その後、マルタは13世紀まで勢力を拡大したヨーロッパの神聖ローマ帝国の支配下に置かれることになります。
16世紀~19世紀:マルタ騎士団の活躍と首都バレッタの建設

16世紀初頭、マルタはオスマン・トルコとの地中海の覇権争いの最前線となりました。
この状況下で、神聖ローマ皇帝であるスペイン王カール5世は、聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)にマルタ島を譲渡し、彼らをイスラム勢力に対する防波堤としました。
マルタ騎士団は、1565年のマルタ大包囲戦において、オスマン帝国の大軍を相手に歴史的な勝利を収めました。この勝利の後、二度目の侵攻に備えてより強固な要塞都市が築かれ、それが現在の首都バレッタの起源となりました。
マルタ騎士団はその後もマルタを守り続けましたが、18世紀末にフランスのナポレオンによる侵攻を受けます。
ナポレオンはフランス市民革命の精神に基づき、マルタでも政治、金融、行政や身分制度の廃止といった改革を推し進めましたが、この急激な改革はマルタ住民の強い反発を買い、やがてフランスに対する反乱へとつながることになります。
近現代マルタ:イギリス統治、独立、そしてEU加盟へ
19世紀~20世紀:イギリスの統治と独立

ナポレオンの急進的な改革に反発した島民は、フランスの敵であったイギリスの助けを得て、フランス支配から脱却することに成功しました。
しかし、その後の島の統治について、島民の間で「マルタ騎士団の統治に戻るべき」か「イギリスの保護下に入るべき」かで意見が対立し、内紛が起こりました。
その結果、マルタは19世紀初頭からイギリスの統治下に入り、この時代に英語が公用語として定着。二度の世界大戦を経て、1964年に独立を果たし、1974年にマルタ共和国となりました。
20世紀~現代:EU加盟とユーロ導入

独立後、1987年のEEC加盟申請を経て、マルタは2004年5月1日にEUに加盟し、2008年1月1日にはユーロ(€)を導入。独立後、ヨーロッパの一員として経済的・文化的な地位を確立しました。
マルタの文化を語るうえで外せないのが「マルタ騎士団」⚔️
彼らの存在が、マルタを歴史的に有名にし、一級の美術や彫刻といった文化財が増えるきっかけになったんだ✨
【併せて読みたい記事】
現存する騎士団!?マルタ騎士団って何?
マルタの歴史を堪能できる必見観光スポット3選

マルタ留学や観光で訪れた際に、その複雑な歴史と文化を体感できるおすすめスポットをご紹介します!
1. ジュガンディーヤ神殿:5000年の歴史を肌で感じる世界遺産

ゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿(Gpantija Prehistoric Temple)は、人類最古の建築物ともいわれる巨石神殿です。
その歴史はエジプトのピラミッドよりも古いとされ、マルタ語で「巨人の塔」を意味します。
世界遺産に登録された6つの神殿の中でも保存状態が最も良く、入り口付近には、博物館も併設されています。
ゴゾ島は美しい海と文化遺産に恵まれた、マルタの北に位置する島🏝️
留学においては、語学学校のアクティビティもよく開催される人気の観光地!
他にもゴゾ島のおすすめスポットを知りたい!って人は、以下の記事も併せて読んでみてね📖
【国内編】週末にマルタ国内旅行するのにおすすめなプランをご紹介!
2. 国立戦争博物館 & 聖エルモ砦:バレッタの歴史と地中海を一望

首都バレッタの先端に位置する聖エルモ砦(Fort St Elmo)は、かつてマルタ騎士団とオスマン帝国との大包囲戦の舞台となった要塞。
その迫力ある外観と、高台から地中海を一望できる景色が魅力です。
併設の国立戦争博物館(National War Museum) では、戦争前後を中心に、マルタの歴史を知る豊富な資料が展示されています。
3. マルタ5D:映像でマルタの歴史と文化をサクッと学ぶ

マルタ5D(Malta5D)は、マルタの歴史文化を約20分間の映像で学べる映画館。
多言語対応しており、日本語でも鑑賞できるため、渡航初期のマルタの基礎知識を短時間で得るのにおすすめ◎
首都バレッタにありアクセスが良いので、観光の合間にぜひ立ち寄ってみてください。
今回紹介した3箇所は歴史を知るのにぴったり!
芸術や華やかなマルタの文化に触れるなら、首都バレッタや古都イムディーナもおすすめだよ✨
バレッタにある観光スポットは、以下の記事でも紹介してるから、併せて読んでみてね📖
【バレッタ観光完全ガイド】世界遺産の首都で行くべき7つの定番スポット
マルタの歴史と文化を知れば留学・観光が10倍楽しくなる

今回は、マルタの複雑な歴史とそれによって育まれた豊かな文化、そしてその歴史を体験できる3つの観光スポットについてご紹介しました。
国の成り立ちを知ることで、マルタの風景やそこで暮らす人々の営みがより深く、違った視点で見えてくるはず◎
文化豊かなマルタを訪れる際には、ぜひそのルーツにも目を向けてみてくださいね!

マルタマルタドットコム編集部のカモメです。
日々楽しくて役立つ文章が書けるように奮闘中。
好きな食べ物は小魚🐠
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