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歴史と文化

現存する騎士団!?マルタ騎士団って何?

公開日 2020年7月22日 最終更新日 2023年08月15日

マルタに留学すると、語学学校で必ずと言っていいほど、マルタ騎士団について授業で取り上げられます。

ヨーロッパから来た生徒さんは多少の予備知識があるものの、日本から地中海リゾートで英語を勉強するんだ、と思ってマルタに来てみたら、なんか良くわからないけどやたらとナイト、ナイトといわれるけどナイトって何?と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

学校の授業でよく聞くけど、マルタ騎士団っていったい何なの?という方に簡単にマルタ騎士団って何なのかをご紹介したいと思います。

マルタ騎士団ってそもそも何?

中世ヨーロッパ3大騎士団の一つで、その中でなんと唯一今もまだ現存する約900年の歴史を誇るカトリック修道会の騎士団です。

ちなみに3大騎士団とは、テンプル騎士団、ドイツ騎士団、そしてマルタ騎士団の3団体になります。

2013年に設立900年を迎えたマルタ騎士団が、黒いマントの修道服に、赤いマルタ十字の旗を掲げながらバチカンに入場する様子は、世界中で報道されました。

 騎士団って何するの?

騎士団っていうとファンタジーの世界にいる剣と盾を持って戦うなんかカッコいい人、なんてイメージがあるかもしれません。

しかし、騎士団は団体ごとに設立目的が異なり、すべてが戦うために設立されたわけではありません。

マルタ騎士団は元々、聖地エルサレムに巡礼する旅人が、病気になったりケガをした時に受け入れる病院や、施設を運営する慈善団体として活動していました。

1113年に当時の法王から宗教団体として公認された後も、巡礼者の安全の確保と医療奉仕を中心に活動していました。

そもそも私たちがイメージする剣と盾を持って戦うことを目的として設立された団体ではなかったのです。

そのため設立当初は軍旗を持たない騎士団でした。

 ずっと医療奉仕だけしていたの?

マルタ騎士団が設立された頃、ヨーロッパでは有名な十字軍の遠征が行われていました。

医療奉仕活動を目的に設立された騎士団ではありましたが、そのうち十字軍の戦いにも駆り出されるようになり、16世紀までは敵対するイスラム勢力と戦うことがメインの活動となっていきました。

そのため、ずっと医療奉仕のみを行っていたわけではありません。

イスラム勢力との長年の戦いの中でも、特に有名なのがマルタが舞台となった大包囲戦「グレートシージ」と呼ばれる戦いです。

マルタ騎士団とオスマン帝国軍は襲撃し、襲撃されいったことを繰り返していていましたので、当然関係は悪化するばかりでした。

そんな彼らの最終決戦となったのがこのグレートシージになります。

1565年5月18日、ついにオスマン帝国の大軍が騎士団を殲滅するためマルタに押し寄せてきました。

その軍勢の数はなんと約48,000人。

そして迎え撃つマルタ側は約8000人兵士と540人の騎士、そして4000人の地元民。

その少ない兵力を率いるのは首都バレッタの名前の元となった当時の騎士団長、ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットです。

戦いは長期化し、砦や要塞の壁が破られてもマルタ側は降伏することなく耐え、ついに戦いは9月を迎えます。

大軍勢のオスマン帝国軍でしたが、長期化により負傷者の増加と、補給の遅れなどで段々兵力の維持が難しくなってきました。

またマルタ側にカトリック勢力から援軍が到着した事もあり、ついに9月8日にオスマン帝国軍はマルタから撤退していきます。

騎士団とマルタがイスラム勢力からヨーロッパを守り抜いたと大変称賛され、彼らを支持する国や有力者から莫大な寄贈を受け取りました。

この戦いは、長期間つらい戦いに耐え、ヨーロッパを守ったという事で今でもマルタ人の誇りであります。

なんで「マルタ」騎士団なの?

騎士団設立当初は聖ヨハネ騎士団と呼ばれていて、今でもその名で呼ぶ人も人も少なくありません。

現在の彼らの正式名称は「ロードス及びマルタのエルサレムの病院独立修道騎士会」と非常に長い名前となっています。

ロードスもマルタも、そこに拠点があった事から後付けされた部分になります。

そのため、彼らは今でも聖ヨハネ騎士団でありますが、Order of Malta (マルタ騎士団)と主に名乗っています。

なんでマルタに来たの?

少し歴史に触れますと、1291年に騎士団たちキリスト教徒勢力が守っていた最後の砦がイスラム勢力に陥落されます。

生き残った騎士団はキプロス島に逃れ、更にそこからロードス島へ向かい、ロードス島に新しい拠点を構えました。

しかしその拠点もオスマン帝国の攻撃により手放すこととなり、騎士団は7年の間、拠点無しで各地を転々とします。

そんな騎士団に、神聖ローマ帝国のカール5世が、年間の賃料「1羽の鷹」という条件でマルタを騎士団に与え、1530年に騎士団はマルタにやってきます。

それから1798年まで彼らはマルタを拠点とし、マルタにいる騎士団という事でマルタ騎士団と呼ばれるようになりました。

どうやったら騎士になれたの?

当時のマルタ騎士団は、裕福な貴族の次男以下、つまりカトリックを信仰する貴族の名家のスーパーセレブのご子息ご一行で構成されていました。

「それじゃ庶民は無理じゃん」と思われるかもしれません。

けれど、セレブ以外にも才能豊かな芸術家も騎士団員として迎え入れられていましたので、一部庶民出身の団員もいたようです。

なんでマルタからいなくなったの?

1798年にナポレオン率いるフランス軍の侵略にあった際、マルタ騎士団は抵抗せずマルタ島をフランス軍に引き渡してしまいました。

彼らが剣を盾をもって戦いに身を投じしていたのは17世紀まで。それ以降は修道士であるはずの誓いを守ることもなく、自堕落な生活に転じていたそうです。

そのためナポレオン軍と戦うこともせず、無条件に島を明け渡し、そのままマルタを去っていきました。

現存するって?

ナポレオンに島を乗っ取られた騎士団は、再び拠点を失い各地の支持者の領地を転々としますが、1834年に本部をローマ置くことを許さました。

その後は拠点が動くこともなく、現在も彼らの本部はローマにあります。

マルタを拠点としていた時代に比べると、建物一つだけとなってしまいましたが、今なお彼らの権力は絶大です。

本部の建物は「マルタ騎士団国」としての治外法権が認められているものの、現在の彼らは領土を持っていません。

領土はありませんが、国民(騎士)は所属していて、パスポートやコインの発行もしています。

ちょっと意味が分からないかもしれませんが、更に領土のないマルタ騎士団国と国交を結んでいる国家が世界に約100ほどあります。

バレッタにも騎士団国の大使館があり、前を通ると騎士団の旗が掲げられています。

マルタ騎士団国は今は何やっているの?

現在は設立当初の目的であった医療奉仕をはじめ、災害があった地域などで様々な奉仕活動を行っています。

決してひっそり活動しているわけではなく、国連にもオブザーバーとして加盟しているほど、今も影響力の大きい団体です。

マルタ騎士団は当初巡礼者を助けるために設立され、最盛期は軍旗を持ちエルサレム奪還に向けて戦う騎士団でした。

領土を失った現在、彼らは当初の活動に戻り、難民や自然災害で苦しむ人を助けるための慈善団体として世界各国で活動しています。

かなり抜粋した紹介ではありましたが、何となくマルタ騎士団って何なのかご理解いただけたでしょうか?

もっとマルタ騎士団のことを知りたければ、「マルタ騎士団ゆかりの観光地紹介」記事で、地域別に必見スポットを紹介しているのでチェックしてみてください◎

留学中、語学学校で騎士団に関して取り上げる機会がありましたら、ぜひ学校のクラスメートと一緒に騎士団縁の場所にも行ってみてください!

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