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歴史と文化

現存する騎士団!?マルタ騎士団って何?

Update 2024.08.15

マルタに留学すると、語学学校の授業でほぼ必ず取り上げられるのが、マルタ騎士団について

ヨーロッパから来た生徒さんは多少の予備知識があるかもしれませんが、日本から地中海リゾートであるマルタで英語の勉強をするんだ!と思ってマルタに来た方のなかには、「ナイト、ナイトってよく聞くけど、ナイトって何?」と疑問に思う方も少なくないはず。

そこで今回は、学校の授業でよく耳にするけれど、マルタ騎士団っていったい何なの?と思っている方に、マルタ騎士団についてご紹介したいと思います!

マルタ騎士団ってそもそも何?

マルタ騎士団とは、中世ヨーロッパの3大騎士団のひとつ

その中で唯一、約900年の歴史を誇り、現存するカトリック修道会の騎士団がマルタ騎士団です。

ちなみに中世ヨーロッパの3大騎士団とは、テンプル騎士団・ドイツ騎士団・マルタ騎士団の3団体になります。

2013年に設立900年を迎えたマルタ騎士団が、黒いマントの修道服に、赤いマルタ十字の旗を掲げながらバチカンに入場する様子は、世界中で報道されました!

 マルタ騎士団って何するの?|初めは医療奉仕活動を

騎士団っていうと、ファンタジーの世界で剣と盾を持って戦うカッコいい人たち、なんてイメージがあるかもしれません。

しかし、騎士団は団体ごとに設立目的が異なり、すべてが戦うために設立されたわけではないんです。

マルタ騎士団は元々、聖地エルサレムに巡礼する旅人が病気になったりケガをした際に受け入れる病院や施設を運営する慈善団体として活動していました。

1113年に当時の法王から宗教団体として公認された後も、巡礼者の安全確保と医療奉仕を中心に活動していました。

そもそも、私たちがイメージするような剣と盾を持って戦うことを目的に設立された団体ではなかったのです。

そのため、設立当初は軍旗を持たない騎士団でした。

ずっと医療奉仕だけしていたの?|後に戦いに駆り出される

マルタ騎士団が設立された頃、ヨーロッパでは有名な十字軍の遠征が行われていました。

騎士団は元々、医療奉仕活動を目的に設立されましたが、次第に十字軍の戦いにも駆り出されるようになり、16世紀までは敵対するイスラム勢力との戦いが主な活動となっていきました。

そのため、常に医療奉仕のみを行っていたわけではありません。

イスラム勢力との長年の戦いの中でも、特に有名なのがマルタを舞台とした大包囲戦、「グレートシージ」と呼ばれる戦いです。

マルタ騎士団とオスマン帝国軍は、互いに襲撃し合うことを繰り返していたため、当然のことながら関係は悪化する一方でした。

そんな彼らの最終決戦となったのが、このグレートシージです。

1565年5月18日、ついにオスマン帝国の大軍が騎士団を殲滅するためにマルタに押し寄せてきました。

その軍勢はなんと約48,000人。

それに対して、マルタ側は約8,000人の兵士と540人の騎士、そして4,000人の地元民でした。

その少ない兵力を率いたのは、首都バレッタの名前の由来となった当時の騎士団長、ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレットです。

戦いは長期化し、砦や要塞の壁が破られてもマルタ側は降伏することなく耐え続け、ついに9月を迎えます。

大軍勢のオスマン帝国軍でしたが、戦いの長期化に伴い負傷者が増え、補給の遅れなどから次第に兵力の維持が難しくなってきました。

さらに、マルタ側にはカトリック勢力からの援軍が到着したこともあり、ついに9月8日、オスマン帝国軍はマルタから撤退していきます。

騎士団とマルタがイスラム勢力からヨーロッパを守り抜いたことは大変称賛され、彼らを支持する国や有力者から莫大な寄贈を受けました。

この戦いは、長期間の苦しい戦いに耐え、ヨーロッパを守ったということで、今でもマルタ人の誇りとなっています。

聖ヨハネ騎士団とマルタ騎士団は一緒?

マルタ騎士団は設立当初、「聖ヨハネ騎士団」と呼ばれており、今でもその名で呼ぶ人は少なくありません。

現在の正式名称は「ロードス及びマルタのエルサレムの病院独立修道騎士会」と非常に長い名前で、「ロードス」や「マルタ」は、それぞれに拠点があったことから後に付け加えられた部分です。

そのため、彼らは今でも「聖ヨハネ騎士団」ですが、主に「Order of Malta(マルタ騎士団)」と名乗っています

なんでマルタに来たの?|マルタ騎士団の歴史

少し歴史を遡ると、1291年に騎士団たち(キリスト教徒勢力)が守っていた最後の砦がイスラム勢力に陥落。

生き残った騎士団はキプロス島に逃れ、さらにそこからロードス島へ向かい、ロードス島に新しい拠点を構えました。

しかし、その拠点もオスマン帝国の攻撃により手放すこととなり、騎士団は7年間、拠点なしで各地を転々とします

そんな騎士団に、神聖ローマ帝国のカール5世が年間賃料「1羽の鷹」という条件でマルタを与え、1530年に騎士団はマルタにやってきました

それから1798年まで彼らはマルタを拠点とし、マルタにいる騎士団ということで「マルタ騎士団」と呼ばれるようになりました。

どうやったら騎士になれたの?

当時のマルタ騎士団は、裕福な貴族の次男以下、つまりカトリックを信仰する名家の中でも特に有力な家系の子息たちで構成されていました。

「それじゃ庶民は無理じゃん」と思われるかもしれませんが、セレブ以外にも才能豊かな芸術家なども騎士団員として迎え入れられていたため、一部には庶民出身の団員もいたようです。

なんでマルタからいなくなったの?

1798年にナポレオン率いるフランス軍の侵略を受けた際、マルタ騎士団は抵抗せずにマルタ島をフランス軍に引き渡してしまいました。

彼らが剣や盾を持って戦っていたのは17世紀までで、それ以降は修道士としての誓いを守ることもなく、自堕落な生活に転じていたそうです。

そのため、ナポレオン軍と戦うこともせず、無条件で島を明け渡し、そのままマルタを去っていきました。

現存するって?

ナポレオンに島を奪われた騎士団は、再び拠点を失い、各地の支持者の領地を転々としましたが、1834年にローマに本部を置くことが許されました。

その後も拠点は動かず、現在も彼らの本部はローマにあります。

マルタを拠点としていた時代に比べると、建物は一つだけになってしまいましたが、今なお彼らの権力は絶大です。

本部の建物は「マルタ騎士団国」として治外法権が認められていますが、現在の彼らは領土を持っていません。

領土はありませんが、国民(騎士)が所属しており、パスポートやコインの発行も行っています。

現在も領土を持たないマルタ騎士団国と国交を結んでいる国が世界に約100カ国あります。

バレッタには騎士団国の大使館があり、前を通ると騎士団の旗が掲げられています。

マルタ騎士団国は今は何やっているの?

現在は設立当初の目的であった医療奉仕をはじめ、災害があった地域などでさまざまな奉仕活動を行っています

決してひっそり活動しているわけではなく、国連にもオブザーバーとして加盟しているほど、今も影響力の大きい団体です。

マルタ騎士団は当初、巡礼者を助けるために設立され、最盛期には軍旗を持ち、エルサレム奪還に向けて戦う騎士団でした。

領土を失った現在、彼らは当初の活動に戻り、難民や自然災害で苦しむ人々を助ける慈善団体として世界各国で活動しています。

マルタ騎士団に関するまとめ

何となくマルタ騎士団って何なのかご理解いただけたでしょうか?

もっとマルタ騎士団のことを知りたければ、「マルタ騎士団ゆかりの観光地紹介」記事で、地域別に必見スポットを紹介しているのでチェックしてみてください◎

留学中、語学学校で騎士団に関して取り上げる機会がありましたら、ぜひ学校のクラスメートと一緒に騎士団縁の場所にも行ってみてください!

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